親切な玉子
賞味期限のシールが、玉子の一個一個に貼られてるのを見ると、僕の『 親切心 』なんてまだまだだな、と考えさせられる。
この親切な玉子は、チャーハンを作る僕に「 安心してボクを使ってね 」とそっと冷蔵庫の玉子ポケットから教えてくれる。
もし、親切な玉子じゃなかったらとゾッとする。「 ひょとして、この玉子のうち3個は賞味期限が切れてるんじゃないかしら? 」と発狂してしまうかもしれない。映画『 ディア・ハンター 』のロバート・デ・ニーロがリボルバーの銃口をこめかみに当てている、それに似ている。
とはいえ、ここは日本でベトナムじゃないし、僕が持ってるのは、リボルバーじゃなく、親切な玉子だ。
もっと踏み込んでしまうなら「 親切 」が当たり前になってしまうと「 親切 」ではなくなってしまう。親切に慣れ過ぎると「 して当たり前、されて当たり前 」になってしまう。
親切な玉子は、普通の玉子になってしまう。それは何だか哀しい。「 親切 」を失くさない為には「 ありがとう 」が必要だ。ありがとう、と伝えれば親切を失うことはない。
親切な玉子は、僕の親切な胃袋にきっちり収まっている。